プロローグ;岡田妻反省の日々

 改めまして、代表・岡田高紀の妻、行政書士・岡田久美子と申します。
 ホームページリニューアル前は「岡田妻遺言を書く」という連載を書いておりました。
 原稿はほぼ書き上げたのですが、途中から岡田高紀が多忙を理由に原稿をチェックしてくれなくなったため、「岡田妻遺言を書く」の連載は自然消滅しました。

 月日は巡り、私は某大学大学院での研究生生活を終え、行政書士業務に専念できるようになりました。
 しかし、畑違いの私は法務畑一筋の岡田高紀の足を引っ張るばかりで、また、岡田高紀にとっても私をお客様の前に出すのは恐怖であり、岡田高紀が私に転職を勧めたこともありました。
 紆余曲折ございましたが、岡田高紀が猫の手も借りたいくらい忙しいことは事実で、近頃は子猫の手ぐらいにはなったと自負しております。

 私の言い分としましては、「実務をしていないから勉強しても勉強しても抜けていく、本読んでもピンとこない」なのですが、岡田高紀から見るともう少し頑張った方が良いようで、たまに勉強したことなどを書いてみようかと思います。

 2か月ほど前に実父・平畑父(80)の自筆証書遺言が仕上がったところであり、本人の了解も得られましたので、どのようなことを話し合いながら遺言作成を進めたかについて、虚実を織り交ぜながら記録に残そうかと思います。最終的には公正証書遺言にする予定なのですが、コロナ禍において公証役場に行くために高齢者が都会の人混みに出ることは危険であり、とりあえず、自筆証書遺言を作成しました。

 父を手伝ってみて思ったのですが、高齢者の終活は、「時が満ちなければ始まらない、けれど、時が完全に満ちてからでは手遅れ」なのではないでしょうか。父に最初に「病弱な弟のために何らかの備えを考えた方が良いよ」と言ったのは何年前なのかもう思い出せません。その時、父は必要性は自覚したようですが、「まだ先のこと、面倒くさい、分からない」と思ったようで、全く行動を起こしませんでした。業を煮やして父専用の民事信託を解説する資料を作ったのが2年前。必要性の自覚の程度は少し上がったようですが、やはり、亀の歩みでした。その間も父の老化は着々と進み、「そろそろ本当に書いた方が…」と思っていたところ、父は終活全般について話題に出すようになり、遺言作成にも前向きになりました。母が認知症になってから父が死んだ場合に起こることなども考え合わせると話はなかなか複雑であり、図入りの資料を作って実家に出向き、親子で混乱しながら遺言原案を作成しました。「とりあえず住まいについての遺言から」と1文だけの見本を用意したのですが、この年齢で初めての大事な1文を書くというのは、現役世代が思う以上に緊張したそうで、大分疲れたそうです。一度、1文だけの遺言を書くと勝手が分かって気が楽になったようで、残りの財産についての遺言は一気に書き上げたようです。父の遺言原案作成は今の年齢が限界だったと思います。もう少し年齢が上がっていたら複雑な遺言原案の話し合いには付いてこれなかったと思います。
 遺言は何度でも作り直せます。遺言作成は早めに行うことをお薦めします。

 次回からは真面目に書きます。